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11月9日、生涯書くことをこよなく愛した女性、瀬戸内寂聴が99年という月日に亘る本を閉じた。私にとってはメディアでちらほら見かける有名人の一人に過ぎなかった。去年、ある友人に私が真剣に物書きを目指していることを話した際に、その友人が寂聴の名前を挙げるまでは。「愛した、書いた、祈った」、これは寂聴が生前、自分の墓碑に刻む言葉として選んだものだそう。正に、彼女の生き様を端的に示した言葉である。
人に好かれ、様々な功績を残し、世に名を馳せた尼僧である寂聴は人を癒すことに人生を捧げた-これが彼女の若い頃の軌跡を知る前にぼんやりと持っていた私の寂聴像。1922年生まれ。戦前の、権威を後ろ盾にした力が横行する長子制度の時代。女性だけでなく、男性さえも、生き残るために様々な形態の暴力に耐え続けた。選択肢など殆どなかった。大抵の場合女性は養ってもらうために二十歳前に結婚した。寂聴は恵まれており、大学まで進んで日本文学を学んだ。二十歳のとき、29歳の人と見合い結婚した。5年後、幼い子を残して4歳年下の人と駆け落ちした。
家庭を捨ててまで貫いた愛はそう長くは続かなかった。生活費を得る必要から、寂聴は物を書き始めた。1957年、発表した「花芯」という本が入賞したが、寂聴が戸惑うことなく表現した性的な内容が酷評を招いた。この本は今では彼女の代表作の一つとされ、2016年に映画化された。かつてスキャンダルを生んだ本が、60年の歳月を経て、映画という媒体で国内外に大きく紹介されることになった。
寂聴は書き続けた。書くことには成功したが、恋愛面ではそうでもなかった。いくつかの不倫の恋に身を焦がした後、寂聴は余生を僧侶として人に仕えるために出家した。寂聴51歳。1974年、京都の嵯峨野に構えた静かな佇まい、曼荼羅山「寂庵」には数多くの人が訪れ、寂聴の教えに耳を傾け、励ましや癒しを受けた。皮肉なことに、半世紀近く経った今になって、自分がこの寂庵のほんの目と鼻の先で幼少時代を過ごしたことを知った。
本能のままに、愛に身を捧げ、我が道を行くこの寂聴の性格は新しいものを拒む古風な考え方の人たちからは敬遠されたが、そういった彼女への批判の声など気にせず、自分らしく生きる寂聴に敬意を示す人たちもいた。私もその一人だ。世間一般の意見に反して自分の道を選んで生きるには、計り知れない勇気がいったことだろう。心の叫びに耳を傾け、己の天命に従い子供を手放すまでの決意に至るには、想像だにできぬ葛藤に苛まれたことだろう。それまで生きて来た人生を抛(なげう)ち、本来の自分の行くべき道を見据え、それに順応し、受け容れることは、時に痛みを伴う経験だったことだろう。そのような経験なくして、尼僧「寂聴」は生まれることはなかっただろう。その苦悩なくして、彼女の言葉が何千人、何万人もの人々の心に触れることはなかっただろう。その書いて多くの魂に語りかけようとする寂聴の比類なき情熱がなければ、未だ多くの人々が暗闇に閉ざされていたことだろう。
寂聴の人生を調べているうちに、あるインタビューで彼女のこんな発言に出くわした。「私は御坊さんとして位をもらうことにはあまり興味はなくて、死ぬときには作家として死にたい。私は書くことが好きだから、書くために生きている」と。誰が何と言おうと、書くこと、ひいては書くことによって人を癒すこと、これが正に寂聴の行くべき道、与えられた使命、光 ― 彼女が生かされていた理由であったと言えよう。
一女性として、また物を書く身として、彼女の情熱、愛情深さ、そして真の自分に常に忠実であろうとする信条には畏敬の念を抱く。一体どれだけの人間が、彼女のように自分の心に正直に生きることができるだろう。寂聴の生き様を見て、以前から考えさせられていた仏陀のこんな言葉を思い出した。
「人生の最期に問われることはこの三つ
どれだけ周りにたくさんの愛を振りまいてきたか
どれだけ穏やかに一日一日を過ごしてきたか
どれだけ潔く自分にとって意味のないものを手放すことができたか」
嵐の夜、光を差して荒波から助けてくれるであろう灯台を、また新たに見つけた。私が舵を取るその船の名は、「使命」。
Restrictions by others on our lives, and our self-discovered purpose in life, can be like falling into a lake. Especially for a woman. In Japan. Swim, or give in. As Ko lovingly relates, Jakucho was a swimmer, and we are the beneficiaries of her courage, her spirit, and her strength. Thank you Ko, for bringing Jakucho into my life.
I found another lighthouse standing out there to guide, help, and encourage me to sail the journey of life fully to the end.